たとえそこに石碑しかなくても

京都周辺で訪れた史跡を記録がてら綴ります。たとえそこに石碑しかなくても、往時に思いを馳せます。

醍醐天皇陵・朱雀天皇陵

なんだか久しぶりの更新になってしまいました。

きちんと調べてから書こうと思うと、ついつい先延ばしになってしまうんですよね…。

 

さて、今回は醍醐天皇陵・朱雀天皇陵です。

地下鉄東西線小野駅または醍醐駅を降りて、東に行くとあります。

 

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醍醐天皇陵入り口

 

地図で見ると、円形に見えます。古墳でも、天皇陵でも、正面から見ると良く分かりませんが、せっかく特徴的な形なのだから、上から見たいですよね。

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醍醐天皇は、右大臣に菅原道真左大臣藤原時平を置き、親政を行いました。延喜の治と呼ばれています。昌泰の変、つまり藤原時平が讒言をして菅原道真太宰府に左遷した事件も醍醐天皇の治世に起こっています。

日本史では大きく取り上げられるところですね。

 

さて、次は朱雀天皇陵。ちょうど、醍醐天皇の次の代が朱雀天皇になります。

 

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参道が思いっきり人の家の裏で、ちょっとビビりました。

天皇陵って結構そういうところが多いなという印象です。京都はすぐ近くに歴史的な場所があったり、そもそも住んでる場所やら通ってる場所が何かの跡だったり、歴史がすぐそこにあって面白い。

 

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朱雀天皇

朱雀天皇の治世には、平将門の乱藤原純友の乱が起こり、政治が乱れていた時代でした。8歳で即位したこともあり、藤原忠平を摂政において政治が行われました。

前述の菅原道真の左遷事件後、兄やその子が夭折するなど、菅原道真の祟りがかなり恐れられていた頃でもあります。

 

今回醍醐天皇朱雀天皇について書くにあたり調べなおしてみたら、高校時代に学んだ日本史の記憶と繋がって、よりまとまって理解が出来た感じがします。

 

こういう形で日本史を学びなおすのも良いなあと思いました。