たとえそこに石碑しかなくても

京都周辺で訪れた史跡を記録がてら綴ります。たとえそこに石碑しかなくても、往時に思いを馳せます。

今年も終わりそうなので、今年の大河ドラマについて書こう

今年ももう終わってしまいますねぇ。

あまりブログの更新が出来なかったので、史跡巡りではないですが、記事を書こうと思います。

 

今年の大河ドラマ「青天を衝け」がとてもとても印象に残るものだったので、それについて書こうと思うのです。

あくまで私の個人的意見であって、しかも栄一がパリから帰国したあたりからしか見ていないので、偏りもあるかと思いますが、承知して読んでいただければと思います。

 

私的に、「青天を衝け」は3つの点で画期的だったと思うのです。

 

1つ目は、(旧)幕府側の人物が多く取り上げられたこと。

昨年あたりから、大河ドラマとは関係なしに、小栗上野介明治維新幕臣に関する本を読んでいました。そういう理由で、個人的に旧幕臣への評価が高まっていた時期に、この大河ドラマはタイムリーでした。明治維新からこれだけ時間が経って、幕臣の活躍がこれだけ強調される(ドラマ中でも意識して台詞の中に取り入れられていたように感じました)ということに、歴史観の変化の兆しを感じました。

そして、今まで繰り返し描かれてきた幕末・明治の時代も、登場人物が違うことで話の内容もかなり目新しいものが多かった。そこもおもしろさの一つだったと思います。

 

 

2つ目は、幕末期から明治・大正・昭和初期までが一つの作品の中で連続性を持って描かれたこと。

幕末期を扱った作品の多くは、主人公の死に伴って明治初期、長くても明治10年代くらいで終わっていると思うのです。それが、渋沢栄一は明治の時代でもバリバリ活躍し、大正を潜り抜け、満州事変が起こった時まで生きている。

幕末・明治と日清戦争日露戦争などが別の作品で描かれていると、無意識のうちにこの2つは違う時代なんだと思ってしまっていました。しかし、「青天を衝け」を見ていると、外国に負けじと必死で国を作って来た明治時代の結果として大正・昭和の時代があったのだということを強く思ったのです(こうやって文字にすると何を当たり前のことを…と思うかもしれないですが、本当に私の実感としてはこうだったんです)。

 

3つ目は、徳川慶喜の晩年が描かれたこと。

これもほぼ初めてではないだろうか(いや私の見聞は狭いので嘘かもしれない)。

幕末好きを自称しているので、慶喜明治維新後長生きして趣味に生きていたということは知っていました。そして、ドラマ中の栄一と同じく、戊辰戦争での行動をどう捉えてよいか分からず、慶喜は何を思って生きていたのだろうと思っている私もいました。そういう状態でずっとドラマを見ていて、最終回前での「生きていてよかった」を聞いた時は、思わず涙がこみ上げてきてしまいましたよ。(もちろん本当はどう思っていたかは分かりませんが)「そうか、生きていてよかったのかぁ」と。

これ、渋沢栄一が主人公だからこそ出来たことだなあとも思います。慶喜本人が主人公では流石に後半生はドラマとして成立しないし、深い交流を保ち続けたのも栄一くらいではないでしょうか。そういう意味では、今回が最初で最後…?

 

色々書きましたが、まとめて言うと、「青天を衝け」、吉沢亮がもう渋沢栄一にしか見えない、草彅剛がもう徳川慶喜にしか見えない、くらい面白かったです。

 

いつか前半もちゃんと見てから感想・完全版を書けると良いのですが。乞うご期待。